日記帳2

ブラジリアン柔術の練習日記

放送大学 ドイツ語Ⅰをやってみた

 語学というものは苦手で、中学高校と英語を全く勉強してこなかった。おかげで英語の成績は悪く、語学に対して苦手意識があるくらいだ。いまだに語順がわからない。ドイツ語を始めたきっかけはやはり哲学で必要になってきたからだ。というのは読んでる哲学書の原文がほとんどドイツ語に傾いていった。ヘーゲルを原文で読んでみたいという想いから始まったのだろうが今は興味関心が移り替わり、カントのほうが重要だと感じた。それゆえカントを読むためにドイツ語を勉強しているということだろう。また、ドイツ語学者の関口存男の勉強法に見とれてしまったという面がある。それは関口存男は14歳あたりの時にドイツ語の『罪と罰』を辞書を携えてわからない単語をいちいち調べてついに読破したというエピソードだ。このエピソードを知ったときは「こんな勉強方法があったのか」と感動した。これを実際にやってみるととてもキツい。放送大学のおよそ300ページあるテキストに載っていたドイツ語はほとんど辞書で引いた。具体的な勉強法としてhabenという単語が出てきたらノートにhabenと書き、その上に他動詞と書き、下にハーベンと書き、その下に持っている/あるといった日本語を書く。いわば辞書で単語を引いて品詞分解するという勉強法だ。最初の勉強時間はおよそ7時間ほどであった。たった5行のドイツ語の文章を辞書を引くだけでも1時間はかかった。序盤は調子よく勉強できていたが、心が折れそうになり1時間程度を週二回くらいしか勉強できないという日もあった。だがやり終えることができた。テキストを終えるころには5行のドイツ語を20~30分で辞書で引けるようになった。この勉強法の効果というものを実感していない。なぜならテストや添削課題の成績が悪かったからだ。それもそのはず、練習問題をやらなかったことと、文法解説を読まずに辞書だけでテストに答えたからだ。勉強方法としてはかなり悪手であろう。かといってこの勉強法をやめるわけにはいかない。ドイツ語の長文を読めるようになるという目的のためなら茨の道を通ることも厭わない。安易に結果や効率を求めることは個人的には心を折ることに等しいと思っている。心を折ってしまえばドイツ語の勉強は二度とやらなくなるだろう。古い考え方かもしれないが精神論は必要だと思ってる。なぜならやる気そのものが精神論に直結するからだ。やる気を出す前の前の前の前の状態…と無限にたどっていけば脳科学も匙を投げる。ゆえに精神論だ。精神は個人に属するものであって他人にそれは押し付けられない。ここから、自分に妥当する精神論を探すことが大事だと感じた。

 テキストについては自分にはあまり合わなかった。テキストの大まかな流れとして1章を基礎単位としてその中に基礎の表現→例文→文法解説→練習問題→章末のエッセイといった具合だで学校の教科書的だ。前述のように中高と全く英語を勉強してこなかったわけで品詞の説明が省略されているので文法解説では何を勉強しているのかがわからない状態であった。要望としては品詞の説明と文の類型みたいなのを習いたかった。このテキストの良いところとして対訳があるところだ。全体的には文法優位のテキストであり、単語は文法に付随している。